自分磨き

どうしてそんなに気が散るの?〜集中力がないように見える子たち

集中出来ないのではない

発達症の子どもたちは「タイミングが悪い」とか「集中力がない」と、よく言われます。声をかけられても気づかなかったり、逆に、面と向かって話をしているのに、全然関係のない物音に気を取られて会話が中断してしまったりするからです。けれど、彼らは「話を聞く気がない」わけでも「がまんが足りない」わけでもないのです。


私たちは日常、様々な音に囲まれて暮らしています。向かい合って話している相手の声以外に、外を走る車の音、風が窓を揺らす音、子どもたちの足音、鳥の声など、耳はたくさんの音をキャッチしています。このキャッチした音の情報は「脳」で交通整理をされ、優先順位の高い順に大きな音として認知されます。

どんなに周りの音がする中でも、目の前にいる話し相手の声がもっとも大きく聞こえてくるのは、こうした脳の機能のおかげなのです。


この「感覚を通して入ってくる情報の交通整理」が「感覚統合」。


今回取り上げるのは、「聴覚」についてです。

感覚統合の視点から、「聴覚防衛反応」=「聴覚過敏」の子どもたちのことを考えてみましょう。


Case8 「今の音、何?」~ちょっとの音にも反応してしまう子たち

マンガ

今から16年前にのじゃ塾に通っていたある男の子のことを、時々思い出します。当時小学2年生だった彼は、学校の授業中に聞こえてくる、廊下の音、校庭からの音、道路の音、ありとあらゆる音が耳に入ってしまい、先生の話に集中することができないと困っていました。なんで困っているかというと、音は勝手に耳に入ってきてしまうので自分にはどうにもできないのに、先生や友だちは「集中力がない」彼を注意するから。

この時私は、小学生の頃に読んだ「窓際のトットちゃん」を思い出しました。


以前の記事でもお伝えしましたが、この「困った」は機能上の問題なので、本人の「がまん」や「努力」ではどうにもできないことなのです。


感覚統合の視点から~聴覚防衛反応

聴覚以外にも、視覚や味覚など、ほかの感覚にも防衛反応はあります。

視覚の場合には目を閉じたり、味覚の場合には口に入れなかったりしてある程度刺激を避けることは可能ですが、聴覚の場合はそういうわけにはいきません。

なんの前触れもなく、突然その刺激が入ってきます。本人の好むと好まざるとに関わらず、あらゆる方向の情報が耳を通して入ってきてしまうので、問題として表れやすいのです。


聴覚過敏の人たちの「聴覚防衛反応」の出る音に対する感覚は、「好き・嫌い」を超えた、「耐え難い状態」。

たとえば、「黒板をひっかくような音」は、誰しもが共通して理解できる「不快な音」ですよね。「好き・嫌い」といった枠を超えた、耐え難い状態になる音。


防衛反応の出やすい音としては、風船の割れる音、ピストル音、打ち上げ花火、掃除機の音やエンジン音、ホールや屋内プールなどでの反響音などもあります。


また、ちょっとした物音もキャッチできる上に、感覚統合の課題があると音の優先順位がつけられないので、つい、興味がそちらへ向いてしまう。向いてしまった意識を元の位置に戻すことも、難しい。

それを理解することが、すべての始まりです。


この理解があれば、「本人に注意喚起をする」のではなくて、物音を減らす工夫をしたり、療育トレーニングを積むといったアプローチができる。識別系のスイッチをうまく入れながら(話を聞くだけではなくて手作業を同時に取り入れる等)、必要な音に集中できるよう働きかけることが可能になります。


こうした困難がある一方で、「過敏」というのは、音に対する人並み外れた研ぎ澄まされた感覚を持っているということでもあります。

聴覚過敏の方には「絶対音感」のある方も多いとか。

一つの状態をどの側面から見るかによって、心の在り様も大きく変わります。


彼らを変えるのではなく、彼らを知ることから

発達症の子どもたちは、「自分が周囲からなんとなく違うと見られている」ことや、「他の子にはできるけれど自分にはできないことがある」ことに、気づいています。

じゃあ、どうすればいいのでしょう。


「人に呼ばれたら振り向くものだ」とか、

「相手が話をしている時に、他のことに気を取られては失礼だ」とか、

そういった一般的な共通認識を前提として、私たちはコミュニケーションの枠を無意識に設定したりします。その「自分たちの枠組み」の中から見ると、たしかに彼らはとても不思議だし、その行動に、いちいち心がざわつかされます。


呼んでも振り向いてくれないと、「無視されたの?」って思ったり、

自分が話している最中に違うことに気を取られている様子を見ると「私の話、つまらなかったのかな?」「真剣に話しているのに……ショック」って思ったり。


けれど、その「一般的共通認識の枠」と「自分目線」をいったんやめたら、本当の彼らの姿が見え始めてきます。感覚統合の視点があるとなお一層、相互理解がすすみます。


話を聞いていないように見えるのは「聞く気持ちがない」からではなく、「様々な情報が同時に聞こえている」、あるいは「聞こえているけれども、私たちが聞いているのとは少し違った聞こえ方をしている」からなのかも。


発達症の子どもたちの見て・聞いて・感じている世界を理解する立場に立つこと。

そこが、互いの関係の出発点。それは、発達症の子どもたちとのコミュニケーションに限らず、どんな相手とのコミュニケーションにおいても同じなのではないでしょうか。


「あなたに見えている世界を教えてほしい」

それが、始まりの一歩。




バックナンバー

♯7:赤ちゃんにも意思がある ~理解出来ない親はダメな親?


♯6:仕上げ歯磨きを嫌がる子は、我慢が足りないの?〜感覚統合という視点


♯5:間違っているのが子どもとは限らない〜忘れ物は誰のせい?


♯4:他人の家の冷蔵庫を開けちゃう子〜それってしつけの問題ですか?


♯3:あまりにもマイペースな我が子。一体いつまで待つのが正解ですか?



のじゃ塾とは?

幼児から大人まで通える療育塾。

発達症、発達症のボーダー、学校や家庭での問題行動全般、不登校、拒食症、統合失調、ダウン症など、子どもたちに同じケースはひとつとしてありません。 自宅の一室で、「語らい」や「遊び」「学び」の中から発見される子どもたちの心の声を聴きながら、ひとりひとりに、オーダーメイドな授業、教育カウンセリングを実践しています。また、のじゃ塾の療育メソッドをもとに、感覚統合を促進させる運動療育チーム「まなまりんManaMarine」を発足。



  • のざきみほ(学習・療育のじゃ塾塾長/日本子ども虐待防止学会会員/イラストレーター)

    「子どもたちが本来持っている才能を存分に発揮できるよう双方向で作る授業」と「彼らのありのままを理解する教育カウンセリング」を軸とした療育を実践しています。

女子力アップ

編集部ピックアップ

女子カレとは?

今週のお悩みQ&A

広告掲載について

Facebook

Twitter

ページTOPへ