母と娘

【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #20 ベランダの鳩(20)

  • 更新日:2019/04/26

« 前回から読む

#20 ベランダの鳩(20)

「奥平君、まだほっぺた柔らかい?」

 乾杯のあと、挨拶がわりに私は訊いた。でも、それでは私の顔を見るなり、「よお、こごみ。小さなゴミ」と、子供のときと同じからかい方をした太陽とほとんど変わらないかもしれない。自分で口にして、すぐにそう反省した。「あ、ごめん。つまんないこと訊いて」

「や、べつに」

 奥平君がさらりと答え、少し頬を赤くした。照れたような表情が、ちょうど子どもの頃に重なって見えた。つんつん、とその頬に人差し指を突き立てるには、さすがに小学校から時間が経ちすぎたけれども。

「奥チンは勉強が好きすぎて、まだ学生なんだぜえ」

 太陽の大雑把な説明に、

「へえ、そうなんだ」

 と私は応じた。

「いや、就職先が見つからなくて」

 奥平君は言うと、はにかんだような表情で一人うなずいている。もともと親しいほうではなかったから、彼と話すのは、はっきりと中学卒業以来だった。五、六年前に一度だけ出たクラス会には、彼のほうが来ていなかったと思う。

「こごみは月島で働いてるんだよな」

 今度は奥平君に聞かせるみたいに、太陽が言った。きっとノリの悪い二人だと呆れているのだろう。やはり大雑把な情報なので、月島は住まいがある場所で、職場は日本橋だと私は訂正した。

「ふーん、そうなんだ。お江戸だね」

 奥平君はそれだけ言うと、あとはどんな会社で、なにをしているかなんてぽんぽん質問しない。

 その薄い反応が、私は嫌いではなかった。

「奥チンも、なんか料理頼んだら?」

 世話焼きな美香ちゃんに勧められて、彼は素直に赤いメニューを開き、料理を注文した。

 近視で裸眼なのだろうか、ときどき、そんなふうに見える目の細め方をしている。

 表面が白く剥げた木のテーブルに、やがて、できたての料理が並ぶ。

 むっちりとした蒸し春巻き。パクチーがほどよく香る鶏のレモングラス焼き。やわらかな牛筋煮込みののった絶品のフォー。

 料理の美味しいそのお店で、昔の友人たちとわいわい楽しく過ごし、よし、もう一軒行こう、と勢いづいた太陽に引っ張られ、四人揃って「市場」を出たのは、まだわりと夜も早い時刻だった。


(つづく)



NEXT » ベランダの鳩(21)



« 小説を1話から読む

■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー

第15話:ベランダの鳩(15)


第16話:ベランダの鳩(16)


第17話:ベランダの鳩(17)


第18話:ベランダの鳩(18)


第19話:ベランダの鳩(19)



  • 藤野千夜 (小説家)

    1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。

この記事がいいと思ったら
いいね!しよう

Related関連記事

Pick Up編集部ピックアップ

Rankingランキング

#tag