
【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #52 恋する時間(22)
- 更新日:2020/08/28
- 公開日:2020/08/20
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#52 恋する時間(22)
二人が注文したのは、赤身のまぐろの他に、中トロやネギトロ、ビントロ、いくらや卵焼きものった、豪華な盛り合わせの丼だった。
美香ちゃんは、それを最初から太陽とシェアするつもりだったのだろう。箸を割ると、太陽のまぐろ丼の、すでにぽっかりと大きく空いた部分に、ご飯ごとすくって移している。
がつがつ食べたぶんがあっさり復活して、食いしん坊の太陽は嬉しそうだ。さらに彼女の丼から、ほしいお刺身を見つくろって、赤身のまぐろの上に重ね、特製まぐろ丼の完成だった。
「いいよ、好きなの取って」
私には奥平君が勧めてくれる。
「いい、いい」
と慌てて遠慮したけれど、あんまりかたくなに拒絶するのも、かえって申し訳ない。二度目の申し出にうなずくと、中トロを一切れと、厚焼きの卵を一かけらもらうことにした。かわりにこちらのまぐろも一切れ、取ってもらう。
のどかな土曜のお昼だった。
テラス席の前を、小さな船がゆっくりと横切って行く。
「ねえ。そこって、海? 川?」
太陽がのんびりと訊いた。すぐ右手が埠頭とはわかっていたけれど、入り江なのか、河口なのか、湾から少し入ったそこをなんと呼ぶのが正しいのか、私も知らなかった。
「あっちが東京湾だよね」
「どこまでが海で、どこからが川?」
そんな子どもみたいな質問をされても、答えに困ってしまう。川だと言われば、そうなのかもしれない。こちらの水辺から対岸までは、確かにそれほど幅がなく、すぐに立ち並んだビルが見える。でも、川だとすれば何川だろう。いつも散歩している隅田川沿いとは、川の流れが違う。
「運河だって」
素早くスマホで調べた奥平君が、正解を教えてくれた。なるほど。運河とは、船の運航のために作られた、人工の水路だったか。
「晴海のほうから、ずっとつながってるみたいだよ」
「え、そうなんだ……知らなかった」
「奥ちん、さすが」
太陽が言い、ばくりばくりと特製のまぐろ丼を食べる。私もきらめく運河に目をやりながら、赤身のまぐろを口に運び、こんな休日もいいな、とぼんやり考えていると、
「写真とっていい?」
いきなり奥平君に訊かれ、えっ、と聞き返した。
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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー
第47話:恋する時間(17)
第48話:恋する時間(18)
第49話:恋する時間(19)
第50話:恋する時間(20)
第51話:恋する時間(21)
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藤野千夜
(小説家)
1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。
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