
【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #51 恋する時間(21)
- 更新日:2020/08/20
- 公開日:2020/08/06
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#51 恋する時間(21)
分厚い赤身のまぐろが、丼のご飯をすっかり覆い隠すように八、九切れ。隅にきゅうりのスライスが一枚と、その上にすり下ろしたワサビがこんもりとのせられている。
「先に食べて!」
違うメニューを頼んだ美香ちゃんと奥平君にうながされて、私と太陽はうなずいた。
「いただきます」
まぐろの一切れにワサビを少しのせて、そのままちょんと小皿の醤油につけて酢飯の上に戻す。一旦バウンドさせるくらいのタイミングで、さっそく口に運ぶと、赤身まぐろのさっぱりした旨味が、さっと舌の上に広がった。
「おいしい」
先に私が言うと、遅れを取った太陽は、ワサビのかたまりを溶いた醤油を、一気にマグロの上に回しかけている。そのまま勢いよく、丼からかきこむように食べた。
「うまっ」
顔を上げ、満面の笑みで太陽が言うと、私の口の中にまで、そのおいしさが伝わった気がした。一度広がったまぐろの旨味が、また舌の上に濃くよみがえる。
人と食事をする喜びとは、きっとこれなのだろう。
自分たちの頼んだ丼ができるのを待つ美香ちゃんと奥平君も、ぐっと食欲をそそられた様子で、ほぼ同時にごくっと喉を鳴らした。
そのタイミングがおかしいと、本人たちが笑っているところに、ようやく呼び出しの声がかかり、二人は半券を手に、急いで厨房のカウンターへ向かった。
一方、そんなことは気にもかけないように、太陽はまぐろ丼をまたかきこむと、
「うまっ」
と顔を上げて笑った。小学校から中学校にかけて、ずっとクラスの人気者だった太陽の笑顔を、偶然とはいえ、いきなり独り占めしているようで、地味っ子だった私はどきりとした。
昔、ちょっと憧れていた頃ならば、当然のように顔が真っ赤になったことだろう。たまらず目をそらしたかもしれない。あの頃、太陽への憧れは親しい友にも言えず、家に帰ると、一人で美化した太陽の似顔絵をこっそり描いていたことをふと思い出した。
もちろん今となっては、ただただ恥ずかしい過去でしかないのだけれど、大人になった冷静な目で眺めても、光射す水辺のテラスに、きらっ、とした太陽の笑顔はよく似合って見えた。
「おーい、これ、すごいよ!」
奥平君と美香ちゃんの二人が、丼ののったお盆を手に、嬉しそうに戻ってくる。
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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー
第46話:恋する時間(16)
第47話:恋する時間(17)
第48話:恋する時間(18)
第49話:恋する時間(19)
第50話:恋する時間(20)
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藤野千夜
(小説家)
1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。
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