母と娘

【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #40 恋する時間(10)

  • 更新日:2020/03/02

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#40 恋する時間(10)

 うんめー、と大きく喜ぶわらびの顔を見ると、築地に寄った苦労は、もう十分に報われた気持ちになった。

 もともと、ほんのちょっとの散歩がてらだったけれども。

「姉ちゃん、うまいよ、これ」

 穴きゅう巻きをすぽすぽと食べ、穴子入りの玉子焼きも、さらにぱくりといく。

 それとたくさんの煮穴子のほかには、帰りしなに見かけた大きなおにぎりを三つ、追加で買って帰った。母特製の爆弾おにぎりにも負けないくらいパワフルな、べったりと黒く海苔の巻かれたおにぎりだった。

 あまりにおいしそうでつい、といったふうに買ったのだけれど、地下鉄に乗ってからふと、三つでよかったかと心配になった。家にはまた老若2カップルが揃っているのかもしれない。どうせなら五つ買っておけばよかっただろうか。

 結局、家で待っていたのはわらびと母のふたりだけで、私はほっとしたのだけれど、とにかく具材の豊富なおにぎり専門店で、そういった意味でも三つに絞るのは骨が折れた。ほたて、焼さば、明太子、豚みそ、ばくだん、筋子、鮭はらす……ずらり並んだ魅惑のラインナップを吟味し、ようやく選んだ三種だった。

 煮たらこ。たぬき。海老天。

 三人の前に三つのおにぎりが並ぶ。醤油味のかつおぶしと天かすの入ったたぬきは、調子のいい変わり者の母が好みそうだ。海老天はお尻が大きくご飯から飛び出していて、成人してなおボリューム一番な弟向け。私は地味に煮たらこを味わいたい。

 そして母子三人の選んだおにぎりは、なんのかけ引きもなくその通りになった。

「これ、うまっ。完全に天丼。さすが姉ちゃん、わかってるじゃん」

 海老天のおにぎりにかぶりつき、満足そうなわらびは、つづいて煮あなごの切り落としをひとつ箸でつまむと、

「うんめー、なに、これ」

 ますます大騒ぎをした。「姉ちゃん、早く食べなよ」

 言われるとおりに私も口に運ぶ。確かに。温め直さなくても、ふっくらとおいしい。

「うん、おいしい。でも、これ、もったいないから、あとでご飯炊いて、どんぶりにしようよ」

「おう、それいいね! 姉ちゃん、天才」

 わらびと一緒に盛り上がると、

「なによ、あんたたち、子どもみたいに」

 さんざん思春期の姉弟を家に置き去りにして、夜遊びを繰り返した母が、少し呆れたふうに、でも決して居心地は悪くなさそうに言う。それはそうだろう。今になって娘、息子に攻撃されるよりは、姉弟がずっと仲よくしていて辛いはずがない。そして自分もひとつ煮穴子を口に放り込むと、ゆっくりゆっくり味わい、ほう、とため息をついた。

 うん、と私のほうを見て、

「こごみちゃん、あなた、毎週帰ってらっしゃいよ。お土産は、次もこれでいいから」

 母はにっこりと言った。



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(つづく)


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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー

第35話:恋する時間(5)


第36話:恋する時間(6)


第37話:恋する時間(7)


第38話:恋する時間(8)


第39話:恋する時間(9)



  • 藤野千夜 (小説家)

    1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。

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