
【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #38 恋する時間(8)
- 更新日:2020/02/07
- 公開日:2020/01/16
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#38 恋する時間(8)
パシリか。
ウーバーイーツか。
激おこのスタンプを返したけれど、これで次の帰宅に手ぶらだと、本気で拗ねるのがわらびだった。
長い付き合いで、そんなことはよくわかっている。
〈だって、お店って土日休みじゃないの? 市場でしょ〉
訊いた時点で買って帰る気まんまん。わらびの返事も待たずに自力で調べると、日曜祭日が基本のお休みで、土曜日は営業しているようだった。
朝五時から、午後三時まで。
〈やってんね、土曜日は。じゃあ帰るとき、探してみる〉
〈やった! 待ってるから!〉
ハートが飛んでくる熊のスタンプ。
〈はーい〉
〈お姉ちゃん、早く帰ってきてね〉
またハートのスタンプ。
いつも「姉ちゃん」呼びで、お姉ちゃん、なんて滅多に呼んだことがないくせに。おちょくってる、としっかりわかりながら、それでも甘酸っぱいような、どこか嬉しい気持ちになった。
自分で言うのも情けないけれど、母の子育てをずっと批判しながら、私も弟には激甘なのだった。
でも仕方がない。外面ばかりいい、社交的な母に放置されがちだった子ども時代、そばにいる味方はわらび一人だったのだ。一緒にご飯を食べてテレビを見て、どれだけ長い夜を二人で過ごしただろう。
顔が可愛いこともあって、ちょっと自慢の弟だった。
母に引っ張られたのか、弟に招かれたのか、とにかくその次の休みに、また家に帰ることになった。
穴子のお寿司を買って帰れるようにと、金曜日の会社帰りではなく、わざわざ土曜の午前中に「寮」を出た。
もともと勝どきに近い側にある「寮」だったから、築地までは徒歩でも十五分、のんびり歩いても二十分かからないくらいだった。
風薫る季節のよいお天気で、大川の向こうの高層ビルがきらきら輝いている。やがて脇にそびえ立つトリトンスクエアのビルを横目に、川にかかる長いブリッジの、「動く歩道」に私は足をのせた。
(つづく)
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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー
第33話:恋する時間(3)
第34話:恋する時間(4)
第35話:恋する時間(5)
第36話:恋する時間(6)
第37話:恋する時間(7)
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藤野千夜
(小説家)
1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。
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