恋愛

与謝野晶子に学ぶ、情熱が長続きする恋愛テク

鏡を見る女性

突然ですが、あなたは次のうちどれかひとつでも実行することができますか?


●官能的なラブレターを書き、それを出版する。

●妻子ある男と不倫の末、略奪婚する。

●実家を捨てる。

●子供を11人産み育てる。

●子育てと仕事をバリバリ両立、夫をも養う。

●「初めての男」と添い遂げる。


「全部ムリ」という人がほとんどでしょう。しかしこれら全てをやりきった女性がいました。それが明治の歌人、与謝野晶子です。


歌集『みだれ髪』、それこそが晶子による処女歌集であり“官能的ラブレター”です。自由な恋愛が罪悪のようにみなされていた明治時代、女性が自我を表現したこと、ましてや性愛を表現したことで一大センセーションを巻き起こしました。その“ラブレター”の矛先は与謝野鉄幹、彼もまた歌人であり晶子にとっては師といえる存在でした。鉄幹は『みだれ髪』を歌集としてまとめあげ出版させる役割の、いわば編集長。


当時晶子は22歳、鉄幹28歳。若い女性からのセクシャルで熱烈なラブレターの数々を目の前にして、その編集にはさぞ力が入ったのではないでしょうか。


けれども、このとき鉄幹は妻子持ち。しかもバツイチ。この鉄幹という男はなかなかのモテ男です。明治文学のカリスマ的存在となったうえに美男だったらしく、文学女子たちが寄ってこないわけがありません。


そんななか、このモテ男は晶子を選びます。お世辞にも美女とはいえない容姿というのが筆者の個人的感想。けれどもその時代の奥ゆかしい女性たちのなかで、前のめりになって愛の歌をぶつけてくる晶子は輝いていたことでしょう。前妻と別れ、晴れてふたりは結婚しました。『みだれ髪』出版の2ヶ月後のことです。


文壇で注目される晶子の一方で、鉄幹は落ち目となります。『鉄幹』という古臭い名前がダメなのかと『寛(ひろし)』と改名するも効果なし。そんな現代のお笑い芸人のような迷走の果て、稼ぎのない亭主と成り下がってしまいました。逆に晶子は、同時代の女流作家たちとともにさらに世間から持てはやされていくのです。


夫は妻を女々しくひがみ、「ヨーロッパに行く」などと現実逃避まる出しのことを言い出します。明治の海外旅行は現代とはずいぶん違います。船で1ヶ月近くかけて行くのだから渡航費と滞在費はかなりの額です。


しかも夫婦には幼い子どもがこの時点ですでに7人いました。いくら晶子が人気の物書きといえどもその稼ぎだけで一家を養っているのだから裕福ではありません。しかし晶子は、夫をヨーロッパへと送り出すのです。ただし港で手を振って待っているだけの普通の女ではありませんでした。後を追いかけるのです。幼い子ども7人を放り出して、ただ会うためだけに。それはまさに若き恋人同士のような情熱です。


数ヶ月間ふたりで欧州を漫遊したあと、妻はハタと母であったことを思い出したのか、ひと足先に帰国していくのです。


その後も晶子は活動の場を広げ、おびただしい量の仕事をこなし、最終的に11人の子どもをもうけました。


その頃になると、夫は定職につかず、家にも帰らない日々が続きました。そうなったら妻の心は夫から離れそうなものですが、晶子は「詩人の夫をぞんざいに働かせたくない」というのです。ましてや夫を擁護するような『良人(おっと)解放論』まで発表します。


なぜ晶子は愛想を尽かすことなく、ここまで献身的に夫を支え続けたのでしょうか。おそらく「嫁いだら最期まで」という既成の古い考えによるものだけではありません。前妻から奪い、実家の両親を捨ててまで成就させた結婚には並ならぬ覚悟があったのはもちろんでしょう。


しかしそれ以上に「あれだけ恋焦がれた」という初恋の記憶があったからなのではないでしょうか。愛し続ける努力をもうやめようかというとき、その記憶を猛烈によみがえらせていたのではないでしょうか。


妻であり、母であり、「女」でいるために晶子から学ぶべきことは、恋の情熱をつねに心のどこかに秘めておくこと。晶子の人生には、結婚と恋が共存していた事実が確かにあります。


ラブレターを出版するまではいかなくても、恋愛時代のことを日記などに記録しておけば、たびたび読み返して熱い想いを蘇らせることができそうです。


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