自分磨き

みんなを待たせることは迷惑か~本当に優先すべきは何でしょう?

運動療育のまなまりん

「のんびり屋」で「マイペース」な我が子がなかなか先に進まず、後ろに大行列ができてしまう。

「おっかなびっくりで初めてのことが苦手」な我が子がそれに取り掛かるまで、みんなを一緒に待たせてしまう。


何人かで、もしくは大勢で何かをする時、他の人たちを待たせてしまうこと。

みんな違う人間なんだから、同じペースで考えたり動いたりできなくて、その進み具合がまちまちなのは至極当たり前のことなのだけれど、「待たせること」に心ざわつき、罪悪感を抱きがちな私たち。時間に追われていたり人を待たせてしまっていたりすると、待ってあげればいいことは、よくわかっていても、「待つ」ことが難しい場面がありますね。

そんな時にはついつい我が子を急かすか、手を貸してしまう。

本当にそれでいいのでしょうか?


感覚統合を目的とした運動療育講座での出来事を、ご紹介いたします。


Case10 問題解決のためにママがとった行動は……

まなまりんマンガ発達療育

ママが抱っこをしてしまう前に、先生からは声がけがありました。

「ゆっくりでいいですよ~」

そして、先生が見本を見せてから「ママ、手をつないで一緒にハードルをまたいであげてくださいね~」とも言葉が添えられました。

けれど、我が子の後ろに長くできた行列を見たらつい……。その気持ち、わからなくはないですよね。しかしながら、です。


運動療育とは

情緒の安定やコミュニケーションを取れる能力の獲得などは、感覚統合の最終産物です。

子どもたちの発達の様子を見ていると、情緒の安定やコミュニケーションを取れる能力について「しつけ」や「習い事」などを通して、直接その部分にアプローチをしたくなりますが、実はそれは、ぐらぐらした土台の上に強固な家を建てようとしているのと同じこと。


これに対し、根本的原因からアプローチをするのが運動療育です。発達段階の根本まで立ち返り、最も基礎となる感覚(聴覚・前庭覚・固有覚・触覚・視覚)を刺激し、脳で行われる刺激の交通整理機能(感覚統合の力)を高め、しっかりとした土台を作ること。それが、運動療育の目的としているところです。

「療育」と名はついているものの、その理論は万人に共通のもので、その効果も発達症の子どもたちに限ったものではありません。


さて、運動療育の視点から見ると、このサーキットで大切なのは、「ハードルを越えて先に進むこと」ではなく、「ハードルをまたぐ」というひとつのミッションをクリアするために必要な機能の向上そのものだということ。


体の軸を感じ保つための前庭覚(平衡感覚)や、ハードルの高さや幅を認知識別するための視覚、軸となる足にどれくらい力を入れるか、持ち上げる足はどこまで持ち上げればいいかという力加減に関わる固有覚、自分の体の全体観(ボディイメージ)。小さなハードルをひとつまたぐために、実は、私たちはこうした感覚をフルに稼働しているのです。


声がけでできなければ、離れたところでジェスチャーでやって見せる。

それでもできなければ、実際に見本を見せる。

それでもできなければ、手を添えて一緒にやってみる。


子どもたちひとりひとりを十分に観察し、その状況に応じて必要な働きかけをしていきます。

身体的な面だけでなく、「こわい」「できなかったらどうしよう」といった子どもたちの心の中のハードルも超えるトレーニングでもありますよね。


何が本当の優先か~それを選択する勇気

とはいえ我が子の後ろに行列が、となるとつい「スムーズに全体が流れる」ということが気にかかってしまい、我が子の状況を把握するとか本来受け取るべき学びを受け取るとか、そんなことは二の次になってしまうこの感覚。何なのでしょう?


『相手が不快に感じているのではないか? 』ということに対して、どうしても気がいってしまう……というその時。相手の不快を考える前にちょっと、自分自身の「不快」の基準を掘り下げてみませんか?

相手を待たせることへの怖れに隠れていたのは、実は「待てない自分」だったりします。

せっかちな自分、急かしたくなる自分、慌ててしまう自分、のんびりな自分、空気読めないって言われてきた自分……それぞれに出てきた「自分」は違うでしょうけれど、その自分を「良い」とか「悪い」とかジャッジをせずに、「あ、私、こんな風に感じていたんだ」と、自覚してあげる。そしてその自分を許す。

そうしてみると、「相手が不快に感じている」ということ自体、自分の側の憶測でしかないということに気づけたりするものです。


待たせることを恐れない

待つ側は、待つことが嫌なら、抜かしていいんじゃないのかな。「お先に~」とか言って。待たせる側も、どうしても待たせてすまないと思ったら「すまない」と口にしてみればいいんじゃないのかな。そこから生まれるコミュニケーションもありますよね。個々の課題を個々のもののままにしておかず、分かち合うことで互いの理解も深まり、それぞれの成長も豊かなものとなるのではないでしょうか。


「待たせる子どもたち」が与えてくれているのはそんな、罪悪感の顕在化と自分へのゆるしのチャンス。そして、「全体」と「個」の本質的なバランス感覚を大人の側が養う機会なのです。

「待たせること」=「ダメなこと」

私たちが抱えてきた当たり前のようなこの価値観、観念。

待たせることがダメなのではなく、待たせる側と待つ側との間になんの架け橋も無かったからダメな感じになってしまっていただけなのでは?

行列がどうなっているかなんていうことよりも、周りにひと声かけて気持ちを楽にして、その瞬間に子どもたちが味わっている感覚を共にゆっくりと味わいませんか。




バックナンバー

♯9:わかっていてもしてしまう、子どもの宿題への口出し手出し


♯8:どうしてそんなに気が散るの?〜集中力がないように見える子たち


♯7:赤ちゃんにも意思がある ~理解出来ない親はダメな親?


♯6:仕上げ歯磨きを嫌がる子は、我慢が足りないの?〜感覚統合という視点


♯5:間違っているのが子どもとは限らない〜忘れ物は誰のせい?


のじゃ塾とは?

幼児から大人まで通える療育塾。

発達症、発達症のボーダー、学校や家庭での問題行動全般、不登校、拒食症、統合失調、ダウン症など、子どもたちに同じケースはひとつとしてありません。 自宅の一室で、「語らい」や「遊び」「学び」の中から発見される子どもたちの心の声を聴きながら、ひとりひとりに、オーダーメイドな授業、教育カウンセリングを実践しています。また、のじゃ塾の療育メソッドをもとに、感覚統合を促進させる運動療育チーム「まなまりんManaMarine」を発足。



  • のざきみほ(学習・療育のじゃ塾塾長/日本子ども虐待防止学会会員/イラストレーター)

    「子どもたちが本来持っている才能を存分に発揮できるよう双方向で作る授業」と「彼らのありのままを理解する教育カウンセリング」を軸とした療育を実践しています。

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