
#2 ベランダの鳩(2)
いつも身勝手なくせに、母は愛想がよくて、人との距離を詰めるのがうまかった。
飲み会やお祭りが大好きで、同じ時刻、同じ場所にいたというだけで、すぐに人と仲良くなれる。
そのぶん振り回された人のほうも、あまり真剣に怒るという話でもなかったし、多少トラブルめいたことになりかけても、わざわざ間に立って、助けてくれる周囲の知り合いも多かった。笑うと目が線になるような、愛嬌のある顔立ちでも得をしていたのかもしれない。一度も結婚しないで私と弟を産み、育てている境遇を気にかけてくれる親切な人たちに、ちゃっかり甘えるのも上手だった。
一方、私はといえば、中学の制服を着るころになると、そういった母のずるさに敏感になった。はらはらよりも、だんだんイライラすることのほうが多くなって、「ねえ、自分で決めたんでしょ」「相手に迷惑がかかるよ」「お母さん、それ、犯罪。私が警察に電話したら逮捕されるから」「やめて、次が順番なんだから、用は面談が終わったあとにして!」なんてたしなめて、うるさがられた。
こちらが正論なので、母も「ごめーん」と一度は謝ってはくれるのだけれど、行動自体はだいたいあらたまらない。それでもう一度指摘すると、「こごみちゃん、めんどくさい」と、よく笑った。
こごみ、という名前のひびきは自分でも好きだった。山菜の名前から取ったそうだ。母がむかし教えてくれた。
「だっておいしいから。こごみ」
弟の「わらび」も同様らしい。そのわりに山歩きもしなければ、山菜料理が得意なふうでもないのは、母らしいところだろう。
ただ、母がおいしいと思ったものの名をつけてくれたことは、内心、嬉しくないわけでもなかった。もちろん、小学生のころには、よくクラスの男子にからかわれた。小さなゴミって、何百回言われたかわからない。
もっともそのときは、大切な名前をそんなふうにバカにするほうがバカ、と強く思っていたから、全然傷つかなかった。むしろそうやっていじられているのを母に知られたら、母が残念に思うのではないかと心配した。だから当時は一度だって、名前を悪く言われたと母に告げたことはない。ようやく冗談ぽく口にできたのは、高校を卒業してからだった。
「ねえ、名前つけたとき、将来、クラスのアホ男子が喜ぶって思わなかった? 小ゴミちゃんだよ? そんなの子供は絶対に食いつくよね」
「思わなかった。だって、こごみを産んだとき、私、もう大人だったから」
と、母はにっこりと言った。
(つづく)
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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー
第1話:ベランダの鳩(1)
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藤野千夜
(小説家)
1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。