母と娘

【小説】ジユウな母とオクビョウな私 #39 恋する時間(9)

  • 更新日:2020/02/20

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#39 恋する時間(9)

 のんびりと「動く歩道」からの景色を眺め、勝どき橋を渡りきると、あとはほんの少しで築地だった。

 築地六丁目の交差点を左に折れてしばらく行き、波除神社の前を右に曲がると、もう場外市場に面した通りに入る。

 その通りを行ってすぐ、「築地魚河岸」という新しい建物にわらびの言ったお店はあった。

 小売りもする仲卸店が六十ほど、二棟に分かれて営業している。特に朝早い時間は、プロの買い出し人を優先しているというだけあって、事前にチェックしたホームページでお勧めしていた朝九時よりもしっかりあと、一般客や観光客向けの時間帯に訪れても、中の様子はやっぱり市場らしいものだった。

 飾り気もなにもない、殺風景な広い通路の両側に、小さなお店がぎっしりと並んでいる。

 まぐろの専門店から、小ぶりな鮮魚を扱うお店、干物ばかりが並ぶ一角、練り物など加工品のお店、青果店もある。お店に立つのは、威勢のいいお兄さんやお姉さん、おじさんやおばさんたちで、彼らとお客さんたちとのやり取りする声が、ところどころ吹き抜けになった、空調もむきだしの格子の天井に上っていく。

 保冷バッグを提げて、そこをぷらりと歩くのがまず楽しかった。

 もっとも、私が提げているのは、河岸を訪れるのに相応しいような大げさなバッグではなくて、チチヤスヨーグルトのキャラクターがついた、小さな可愛いものだったけれども。

〈穴子の寿司と、あと煮穴子も頼みます〉というのがわらびの依頼だったか。

 甘えた弟の期待に応えるべく、さっそく穴子専門の仲卸店を目指す。

 あった。山五商店、というのがそのお店で、低めの天井からショーケースを照らすライトがいくつも下がっていた。

 午後にはきっとなくなっていただろう、あやうく品切れ、といった様子のショーケースから、穴子ときゅうりが巻物になった「穴きゅう細巻き」と穴子入りの玉子焼きがセットになったパックを一つと、見るからにおいしそうな、身の分厚い、煮穴子の切り落としがたっぷり入ったパックを一つ、なんとか手に入れてひとまずわらびのための任務は完了。

 あとはボーナスステージとばかりに、魚河岸の建物内を見て回り、さらに外に出ると、外国人観光客たちでにぎわう、香ばしいかおりただよう磯焼きのお店があった。すぐ近くには、まぐろをさばいてその場で握ってくれるお店がある。いよいよ食欲を刺激され、ぐうう、とお腹が鳴る。よし、と私は並びの「丸武」でひと串百円、熱々でまだ湯気の立つ玉子焼きを買い、ベンチでほっこり味わうと、ずいぶん幸せな気持ちになった。



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(つづく)


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■ジユウな母とオクビョウな私|バックナンバー

第34話:恋する時間(4)


第35話:恋する時間(5)


第36話:恋する時間(6)


第37話:恋する時間(7)


第38話:恋する時間(8)



  • 藤野千夜 (小説家)

    1962年2月生まれの魚座のB型。 2000年に『夏の約束』で芥川賞受賞。 著書に『ルート225』『君のいた日々』『時穴みみか』『すしそばてんぷら』『編集ども集まれ!』など。

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